9/18 中津川は、東日本大震災で250億円もの義援金をいただいた台湾の皆さんに感謝の気持ちは忘れたことはない。日本国民もみんなそう思っている。本日、中津川応援団の一人から郭茂林(霞が関ビルを設計した著名な台湾人)の映写会に招待された。

左から田代實範氏、郭純氏(郭茂林氏のご子息)、一龍斎貞花氏、中津川、酒井充子氏(映画監督)、加藤美智子氏、朱文清氏(台湾文化センター長)


上映前の会場の様子。ここ、虎ノ門の台湾文化センターは今年5月にオープン


ドキュメンタリー映画「郭茂林」の監督、酒井充子氏。この映画の製作に当たり関係者は大変苦労されたようだ。


会場内には郭茂林氏の足跡を展示

作品情報: 日本初の超高層ビル“霞が関ビル”を始め、新宿副都心など数々の超高層ビルの設計を手掛けた台湾出身の建築家・郭茂林の半生を追ったドキュメンタリー。2012年春に他界した彼が2010年秋に90歳で故郷・台北を訪れた時の様子なども収め、日本の発展に大きく貢献してきた建築家の実像に迫る。監督は「台湾人生」の酒井充子。

映画ストーリー: 1968年(昭和43年)日本に初めて100メートルを超す「霞が関ビル」が誕生した。まだ高さ制限が31メートルだった1960年代前半、当時の三井不動産社長の命を受け、このビル建築チームのリーダーとして参加したのが郭茂林だった。「ひとりでは何もできない」。戦前台湾から上京し、20年近くも東京大学で建築を研究してきた郭は、その間に培った人脈をフルに活かして学会の権威や建築業界の精鋭たちの力を集約。そして過去だれも成し得ていない巨大プロジェクトに真っ向から立ち向かう。数知れない難関を乗り越え、高さ制限の法律改定、H型重量鉄骨の開発、各種建築新工法の考案などを実現し、日本初の超高層ビル建設を成功へと導いていった。

  その後、浜松町の世界貿易センタービル、新宿の京王プラザホテル、池袋のサンシャイン60と、高さの記録更新を続け、日本を代表する超高層ビルを次々と築いていく。郭の活躍の場はビル単体にとどまらず、新宿副都心開発も手掛けた。だれに対しても臆することなく接し、プロジェクトが大きくなればなるほど、郭の存在感は増していった。

  台湾生まれの郭は、台北駅前の新光三越ビルを自ら設計した。台湾を旅したことがある日本人なら、だれもが一度は目にするであろう超高層ビルである。そして、同郷の政治家、李登輝(初代台湾人総統)と共に台北市の都市開発にも尽力する。

  郭は90歳を目前にした2010年秋、故郷への旅に出た。青春時代(旧制中学卒業まで)を過ごした台湾で何を振り返り、何を伝えようとするのか。仲間を信じることで国籍を問わず、だれからも愛されていた郭茂林の人生を追った。作品情報:
 日本初の超高層ビル“霞が関ビル”を始め、新宿副都心など数々の超高層ビルの設計を手掛けた台湾出身の建築家・郭茂林の半生を追ったドキュメンタリー。2012年春に他界した彼が2010年秋に90歳で故郷・台北を訪れた時の様子なども収め、日本の発展に大きく貢献してきた建築家の実像に迫る。監督は「台湾人生」の酒井充子。

映画ストーリー:
 1968年(昭和43年)日本に初めて100メートルを超す「霞が関ビル」が誕生した。まだ高さ制限が31メートルだった1960年代前半、当時の三井不動産社長の命を受け、このビル建築チームのリーダーとして参加したのが郭茂林だった。「ひとりでは何もできない」。戦前台湾から上京し、20年近くも東京大学で建築を研究してきた郭は、その間に培った人脈をフルに活かして学会の権威や建築業界の精鋭たちの力を集約。そして過去だれも成し得ていない巨大プロジェクトに真っ向から立ち向かう。数知れない難関を乗り越え、高さ制限の法律改定、H型重量鉄骨の開発、各種建築新工法の考案などを実現し、日本初の超高層ビル建設を成功へと導いていった。
 その後、浜松町の世界貿易センタービル、新宿の京王プラザホテル、池袋のサンシャイン60と、高さの記録更新を続け、日本を代表する超高層ビルを次々と築いていく。郭の活躍の場はビル単体にとどまらず、新宿副都心開発も手掛けた。だれに対しても臆することなく接し、プロジェクトが大きくなればなるほど、郭の存在感は増していった。
 台湾生まれの郭は、台北駅前の新光三越ビルを自ら設計した。台湾を旅したことがある日本人なら、だれもが一度は目にするであろう超高層ビルである。そして、同郷の政治家、李登輝(初代台湾人総統)と共に台北市の都市開発にも尽力する。
 郭は90歳を目前にした2010年秋、故郷への旅に出た。青春時代(旧制中学卒業まで)を過ごした台湾で何を振り返り、何を伝えようとするのか。仲間を信じることで国籍を問わず、だれからも愛されていた郭茂林の人生を追った。

作品情報:
 日本初の超高層ビル“霞が関ビル”を始め、新宿副都心など数々の超高層ビルの設計を手掛けた台湾出身の建築家・郭茂林の半生を追ったドキュメンタリー。2012年春に他界した彼が2010年秋に90歳で故郷・台北を訪れた時の様子なども収め、日本の発展に大きく貢献してきた建築家の実像に迫る。監督は「台湾人生」の酒井充子。

映画ストーリー:
 1968年(昭和43年)日本に初めて100メートルを超す「霞が関ビル」が誕生した。まだ高さ制限が31メートルだった1960年代前半、当時の三井不動産社長の命を受け、このビル建築チームのリーダーとして参加したのが郭茂林だった。「ひとりでは何もできない」。戦前台湾から上京し、20年近くも東京大学で建築を研究してきた郭は、その間に培った人脈をフルに活かして学会の権威や建築業界の精鋭たちの力を集約。そして過去だれも成し得ていない巨大プロジェクトに真っ向から立ち向かう。数知れない難関を乗り越え、高さ制限の法律改定、H型重量鉄骨の開発、各種建築新工法の考案などを実現し、日本初の超高層ビル建設を成功へと導いていった。
 その後、浜松町の世界貿易センタービル、新宿の京王プラザホテル、池袋のサンシャイン60と、高さの記録更新を続け、日本を代表する超高層ビルを次々と築いていく。郭の活躍の場はビル単体にとどまらず、新宿副都心開発も手掛けた。だれに対しても臆することなく接し、プロジェクトが大きくなればなるほど、郭の存在感は増していった。
 台湾生まれの郭は、台北駅前の新光三越ビルを自ら設計した。台湾を旅したことがある日本人なら、だれもが一度は目にするであろう超高層ビルである。そして、同郷の政治家、李登輝(初代台湾人総統)と共に台北市の都市開発にも尽力する。
 郭は90歳を目前にした2010年秋、故郷への旅に出た。青春時代(旧制中学卒業まで)を過ごした台湾で何を振り返り、何を伝えようとするのか。仲間を信じることで国籍を問わず、だれからも愛されていた郭茂林の人生を追った。