中津川は、そもそも当時、従軍慰安婦など存在しなかった(ただし、職業売春婦はいた)という認識を一貫して持っている。
<参考>
従軍慰安婦は、いなかった。
軍隊に依頼され仕事をしていた看護婦に対し、従軍看護婦と言っていたが、そもそも従軍慰安婦という言葉は、当時はなかった。しかし売春婦は存在していた。当時は合法だった。売春婦は軍隊と関係なく商売として駐屯地の隣接した場所に建屋を作り、民間人の経営のもと商売を営まれていた。軍隊が移動すると同様に売春婦もついてきた。そして、新たな駐屯地で商売をはじめた。
軍は兵士の衛生面や治安を守り、敵からの攻撃に対応するために、軍の駐屯地の中に売春婦を入れることとなった。そのことが、売春婦は軍の強制だったと誤解を招くきっかけとなった。
また、売春婦として働いていた女性の多くは、家が貧しく家族の犠牲となり、民間人の売春斡旋の経営者に売られた。親はお金を受け取ると娘に申し訳ない気持ちで会わずに消えたため、ここでも軍に強要されたと勘違いが生じた。
なお、昭和33年3月31日の法改正まで売春は合法であった。